器用貧乏な人がブログを始めたらどうなるか!? 〜パート2〜
おはようございます☀️
執筆人のつかしです。
今日は昨日飛ばしていた、中学・高校時代の詳しい話を書いてい行きたいと思います!
なぜ中学に入るタイミングでサッカーをやめようとしたのか?
なぜ中学でやめようとしたかというと、自分が入った学校は共学になってまだ日が浅い学校でした。
その為男子が行う部活がまだ少なかったのです。
なので、自分が試験を受けた際にはサッカーと野球がまだなかったです。(部活が出来るのは決定していたので、興味がなかったのであることに気づいてすらいなかったと思う。)
そして入学してからサッカー部が創部することを知りました。
だけど、なぜやめようとしていたのにサッカー部に入ろうとしたのか?
それは監督が同じ小学校の出身で自分の事を知っていてくれて声をかけてくれたからです。(決してサッカーは上手ではなかったです笑)
ただ、最初の頃は練習もしっかりと参加せず、時々行っているだけでした。
(もともとやめるつもりだったのであんまり興味がなかったんだと思います。)
それなのに気づいたら毎回練習に参加するようになっていました。
特にサッカーは上手ではなかったが、みんなとやっていくのは楽しかったです。
ただ、今考えるとよくあの中にいたなとは思うぐらい、すごかったです笑
恋愛禁止だったり、部活後の買い食い禁止etc...
色々とありますがあんまり載せれない内容もあるので控えときます。
あの時は本当にしんどかったけど、今では本当に良かったと思っています。
社会に出てからの厳しさがあんまり苦にならなかったので。
そして何より今でも会ってバカできる仲間が出来たことは一生の宝物です!!
中学の大会ではそれなりの成績を取りました。
(あまり詳しく載せるとバレそうなのでやめときます笑)
自分は高校では選手をやめ、マネージャーを中心にやって行きました。
その時に行っていたのが…
怪我をした選手の治療やリハビリトレーニングを行う、「スポーツトレーナー」です。
人を支える仕事に触れ合うことができ、いい経験ができました。
高校卒業後は?
高校卒業後はマネージャー時代に経験した、スポーツトレーナーになる為専門学校へ。
鍼灸師の資格をとる専門学校へ行きました。
これがまた大変でした...
とにかく難しかった。
何が難しいかというと、学ぶことがとにかく多かったです。
生理学・解剖学などの西洋医学に加えツボなどを学ぶ東洋医学を学ばないといけなかったのです。
西洋医学は、欧米において発展した医学を指す用語である。明治初期から、欧米医学を指す言葉として用いられた。正式な医学用語ではなく、俗語であり、文脈によって意味が異なる。 ヨーロッパ、アラビアには、中国医学とは異なる概念・理論・治療体系をもつ伝統医学がある。
東洋医学(とうよういがく)とは、東洋起源の伝統医学を指す。東洋が指す範囲が多様であるように、東洋医学に含まれる範囲も一様ではなく、文脈・視点によって異なる。現在日本の伝統医学業界では、古典医学書に基づく薬物療法・漢方医学と、経穴などを鍼や灸で刺激する物理療法・鍼灸医学、両者を合わせて東洋医学と呼んでいる。
ツボの勉強が大変でした。約361穴ある名前を覚えなきゃいけないのが難しかったです。
3年生の専門学校で2年まで行きましたが、3年に上がる進級テストで点数足りず上がれませんでした。
ここで悲劇なのが専門入学の時に戻ります。
入学してから知らされたことが…
「再来年で学校無くなります!!」
・・・
・・・
・・・はぁ!?
当時それ、入学してから言うか?ってみんなでなってました。
しかも、自分たちの年は午前と午後の2部あったのが、後輩は午後のみ。
(自分は午前の部でした)
3年に上がる進級テストで上がれず留年することに。
ただ、ここで落ちたら来年で学校なくなるんだと考えたら、一気にやる気なくなってしまいました。
そして、そのままやめてしまいました。
勿体無いとも思いましたが、めんどくさがり屋の性格が出てしまい戻る気力は全然出ませんでした。
ここでスポーツトレーナーの道は諦めてしまいました。
専門辞めた後は?
その後はとりあえずはバイトをして生活していました。
高校の時から続けていた「マクドナルド」で働きました。
4〜5年ぐらい働いて結構楽しかったです。
だけど、このままではまずいなと思い就職することに決めました。
マクドナルドでの正社員も声かかりましたが、その時結構ニュースで色々なことが起きていたので、辞めました。
就職活動をスタート!!
3社ぐらい面接して、子供の時から好きだった住宅関係の仕事をしようと思い、不動産屋へ就職することに決めました。
そして、いよいよ社会人生活をスタートさせます。
この後の話はまた後日話したいと思います♪